悲惨な一週間

今日はハンドメイドではありません。


こんな時もあるかと我が家の歴史?として記しておきます。
長文になりそう…


先週の土曜日に、次男家族、娘を我が家に招いて食事をしました。



夜9時ごろ、皆が帰宅準備を始めたころ、上の孫が嘔吐したのです。

この日は孫と一緒にスィートポテトを作ってたくさん食べたので、

その時は食べ過ぎたのね。と思っていました。

そして、それぞれ自分の住まいへ帰って行きました。


ところが、日付が変わるころ次男からメールが来て

我が家で食べたものにあたって、家族で嘔吐をしているというのです。

主人にその旨を伝えて、これから、次男宅へ行って病院へ連れて行こうかと

話し合いましたが、朝になってからにしようというので、

次の日(日曜日)の朝、次男の家へ行ったのです。(次男の家は車で5分)

我が家で食べさせたものが原因なら責任もあるし、

病院へも連れて行かなければなりません。

下の孫は少し嘔吐したけれども、その後は大丈夫そうだということで

私が下の孫を見て留守番をすることにしました。

主人が次男とお嫁さんと上の孫を病院へ連れて行きました。



干しっぱなしの洗濯物があり、嘔吐した時に汚れたものが沢山あったり。

待っている間に手伝ってあげようかなぁと思っていました。

ところが皆が出かけた後、下の孫は大声で泣き始めて…

普段はとってもおとなしくて一人で黙々と遊ぶ、手の掛らない子です。

突然一人置いていかれたことと、やはりまだ、体調は万全ではないのでしょう。

しばらく抱っこして、泣き止んだから下におろすとまた火のついたように泣き始めます。

何回かそれを繰り返しましたが、やっと私もあきらめて、

皆が帰ってくるまで抱っこしていてあげようと決めました。


でも、恋愛・結婚しない若者が増えているというこの時代、

どんな状況であれ、孫を抱っこできる私は幸せよね(^_-)-☆と思っていました。。



具合の悪いお嫁さんが帰って来てから家事をさせるのは可愛そうです。

だって、私の作った食事のせいで体調を崩したのですから。

おんぶ紐も見当たらないし、しょうがないので孫を左手で抱っこしたまま

洗濯物を取り込み、干して、シンクにあった洗い物をして…。


しばらくして、次男家族が帰ってきました。

医者は、何が原因かは言わなかったそうです。

取り置えず、対処療法的に薬を出してくれたそうです。

そこで、私と主人は次男宅を後にしました。

ただ、私には疑問がありました。

同じものを食べているのに、我が家や娘は何ともありません…



日曜日深夜(正確には月曜日午前1時頃)長男が嘔吐しました。

それから一時間後、娘からメールが来て嘔吐したというのです。

別々のところにいるのに、殆ど同時刻に嘔吐?

ひょっとしたら感染する病気?と私は初めて思ったのでした。

次男家族は食あたりだと思っていたので…

感染したのならば、娘は教員をしているので生徒にうつしてしまいます。

明日(今日)、仕事は休んで病院へ行きなさいとだけ伝えました。


月曜日、長男は体調が悪そうで食欲もなく、ぐったりしていましたが

特に嘔吐や下痢をするわけでもなく過ごしていました。

夕方、娘から熱が出たというメールが来たので、念のため

長男の熱も測ったら38度ありました。

これはまちがいない、同時に感染したんだと改めて確信したのです。

ということは、私と主人も月曜深夜に何らかの症状が出るかなぁと思って覚悟しました。

なぜなら、日曜日の深夜に長男が嘔吐した時、無防備に後始末をしたからです。


ところが、その後も私は元気で、あぁ、私は大丈夫だったんだと安心しました。



火曜日、この日から主人は新幹線で福島県相馬に出張の予定でした。

一泊二日で水曜日の夜遅く帰ると言っていました。

ところが、主人が家を出ようとした直前、グラグラと!地震です。長いです。

震源地は福島県沖。福島は震度5弱。どうやら、新幹線も遅れが出るらしいとの事です。


主人は突然、車で行くと言いだしました。

えっー、今日は車で出かける予定があったのに…

しょうがないから、今日は家の中のこと頑張ろう(@^^)/~~~


私頑張りました。一階と二階のトイレもいつよりも念入りに掃除して。

主人も帰ってこないし、ご飯もあるものでさっさっと済ませて。

あぁ、週末から色々あったけど、ひと段落着いた〜やれやれ・・・・




水曜日。今日は主人もいないし、もう少し寝てよ。と思った瞬間!

お腹が痛くなって、慌ててトイレに駆け込むとなんと下○。えっー、なんで?

週末からの次男家族や娘、長男の嘔吐等は私の研究の結果、

ウィルス性の胃腸炎で潜伏期間は24〜25時間。表に書いて見たのです。
(後日、お嫁さん曰く、孫達が通う保育園で胃腸炎が流行っていて嘔吐した子もいたそうです。)

なのに、私はなぜ潜伏期間がこんなに長いの?デブだから?

昨日は軽くご飯を食べて、お腹に悪いものも食べていないし…

潜伏期間24時間、では24時間前、私は何をしていたか…

トイレ掃除!! しかも2階のトイレはいつになく汚れていました。

次男が使ったのです。私は、手袋もマスクもしないでごしごし便器を洗ったのです。

あぁ、あの時に感染したのかと確信しました。ウィルスを馬鹿にしていました!


その日の午前中は、何度トイレに駆け込んだことでしょう。

気持ち悪い。だるい。力が入らない。

長男の世話もできない。(長男は障害があるので自分では何もできません。)

私が何かあったら、長男もそのうちに餓死するのかなぁ…

こんな時は、超ネガティブな想像をしてしまします。



そこで私は悩んだ挙句、主人に電話をすることにしました。

事情を話し、私というよりも長男のために早く帰って来てと頼みました。

主人はわかったと言ってくれましたが、主人は福島県相馬市です。

そこから車で帰ってくるのです。すぐ出発してもあと4〜5時間はかかります。

長男は朝から何も食べていません。何とかしなくてはと思っても体が動きません。

そうしているうちに、急にむかむかして、口の中に唾液がたまり、

気づいたらトイレで嘔吐していました。よくトイレまで行けたなぁ。と思います。


主人は夜、8時半ごろ帰宅しました。私は2つの理由でホッとしました。

ひとつは、もちろん長男の面倒を見てもらえるということです。

もうひとつは、今夜から雪が降り積雪の恐れがあるという天気予報だったので

高速道路が閉鎖されたりしたら帰って来れなくなるなぁと心配だったのです。



私は病院へは行きませんでした。

娘が言うには、「薬を飲むより体から全部出し切れば治るから」



木曜日、主人は仕事を欠勤してくれました。

本人は欠勤というよりは、前日の祭日の代休のつもりだったようです。

なので私は朝から何もせず、ずっとソファーに座っていました。

もう、下痢や嘔吐の症状もなく、胃や腸の中には何もないとと思われるのですが

なんか体がだるしい、食欲もありません。

まぁ、そんなに急には良くならないだろうとテレビを見ながら過ごしました。



金曜日、主人は先日欠勤したのでいつもより早く出勤しました。

私はちょっと寝坊をさせて頂きました。

目覚めると左の胸、左乳房の外側に鈍痛が走りました。

あまりの痛さでベッドから、いつものように起き上がれません。

ゆっくりやっと起きて手で胸を押さえながら、リビングに降りて

ソファーに座って、しばらくは様子をみる事にしました。。

胸の痛みは断続的にやってきます。時々、左背中もズキンと痛みます。

鎮痛剤を飲んでまた様子をみます。が、胸と背中の痛みは変わりません。



土曜日、この日は主人は休日。ちょっと一安心。

胸と背中の痛みは相変わらず。というか昨日より痛みはひどくなっている感じがします。

主人は病院へ行ったらというけれど、この痛みは何科に行けばいいのでしょう?

この頃は、いきなり総合病院へ行きづらい傾向ですし、

紹介状がなければ診て頂けない場合も多いです。

そんなことを考えながら今日も一日ソファーに座っていました。



日曜日、痛みはますますひどくなり、息をするのも辛い時があります。

今日も家事は主人にお願いして、ソファーに座っていました。

この痛みは、なんなのかなぁ? 乳癌? 心筋梗塞? 解離性大動脈瘤?

私、死ぬのかなぁ?と不安で押しつぶされそうになります。



その時ふと、あることが頭をよぎりました。これって、筋肉痛?

原因は、下の孫? 2時間抱っこ?

左手で抱っこして、右手で洗濯もの取り込んで、干して…あれのせい?

でも、抱っこは一週間前の日曜日。痛みが出たのは、その5日後の金曜日。

そんなに痛みが出るまで時間かかるかなぁ?

若い時は、次の日からでも筋肉痛だったよなぁ。

やっぱり年を取った証拠? ということで、とりあえず、湿布を貼ってみました。

でも、そんなにすぐ痛みは取れません。が、気分は楽になりました。


間違いない! 筋肉痛だと確信しました。

その後、痛みもだんだん取れてきて、日常生活を送れるようになりました。


なんだか、やることすべてが裏目に出てしまった、悲惨な一週間でした。