布好きのきっかけ 3 続2

祖母の思い出話を連続書いて、「これだけは書いておかないと!」と思った事があります。


祖父母の事をよく知らない人は、「けち」「質素」「貯め込んでいる」と思っていたようです。
私の娘も「よくあんな暮らしで生きているね。」なんて言うのです。


確かに…たとえば祖父母の暮らしぶりはこんな感じです。ほんの一例。
祖父母の使う食器は必要最低限、お茶わんとお碗と大中小のお皿など食器棚に1〜2段あるだけ。
メモ用紙は、裏が白紙の折り込みチラシを使っていました。
魚の骨は、ストーブの上で焼いて、おやつに食べていました。
祖母が化粧したのは見た事ありません。
電話は黒電話。もちろん留守電もfaxもありません。
ミシンはありましたが、足踏み式の…「カーネーション」に出てきたようなものです。



ですが、こんな面もありました。
祖父母の家はいつ突然遊びに行っても、ちりも埃も、黒カビも油汚れや水垢も見た事はありません。
きっと、まめに掃除をしていたのでしょう。それにしても築30年程の家なのに新築みたいです。
それは、定期的に畳を表替えし、壁を塗り直し、家のメンテナンスをしていたからです。


普段着は自分で作っていましたが(上記のミシンで)、正装用のスーツやコートなどは、良い素材を選び、
流行に左右されず、あきのこないデザインにしてオーダーメイドし、着用後は手入れをして20年以上も着ていました。


テレビはありましたが、テレビを見ている祖父母の姿を見た記憶がありません。
新聞は、朝日新聞と地方紙の2紙をとっていて二人とも2〜3時間かけて隅々まで読んでいました。


私が小学生の時、歳末助け合いの募金をした方の名前をNHKで放送しているのを偶然見て、
私が気付く何年も前から募金していたことを知りました。
何気なくその事を祖母に言うと
「お金はね、金額は同じでも、使い方によって全く違った価値になるのよ。」と言いました。


祖母の事を良く知っている人は「こんなに贅沢な人はいないね。」と…言います。
この際の贅沢とはの事だと思いました。




これは、24歳になる長男が生まれた時に祖母が編んでくれた「おくるみ」2枚目です。
長男は冬に生まれたので、祖母が編んでくれた1枚目のおくるみはとても重宝しました。
その事を、祖母に言うととても喜んでくれて、すぐ2枚目を編んで送ってくれました。

私の写真の撮り方が下手なので色あせて見えますが、今もきれいなブルーの毛糸です。



再度、写真撮ってみました。やっと色がでました。